言葉って、なんの力もない。
何かを伝えようとするのに、私たちは言葉を使う。
共通言語を持つもの同士にとって、一番、伝わりやすい、コミュニケーションツールだからだ。
でも、気づいたことがある。
こちらが、伝えよう、伝えようと、言葉に趣向を凝らせば凝らすほど、その真意は相手に伝わらないことのほうが多いのだ。
感情を表現する言葉、その組み合わせで、相手をよい気分にさせることも、嫌な気分にさせることもできる。
だからこそ、相手に歩み寄り、理解してもらおうと、組み合わせに気をつけて、使っていたつもりだ。
しかし。
時には、何も言わないほうが伝わることもあるのだ。
それに気付いたのは3年前。
失ってから、ずっと後のこと。
大事な人であればあるほど、わかってほしくて、わかろうとして、沢山のことを伝えたり、問いかけたりしていた。
よかれと思ってやっていたことだったけど、相手にとっては、それは苦痛なものにしかならなかった。
性質の違い、というものもあるんだろう。
価値観の違い。環境の違い。
色々な「違い」を、言葉は埋めてくれるものだと信じていたが、言葉はそこまで万能なものではなかったようだ。
でも、それでも。
やっぱり、私は話したいし、伝えたい。
相手を理解したいし、理解する努力をしたい。
相手が友人でも、恋人でも、家族でも。
先輩でも、後輩でも。
この考えがエゴだとしても。
その時その時で、最適な言葉を探して、距離を測って、相手の気持ちに寄り添っていきたい。
私たちは、言葉の力を知っている。意識的にも、無意識的にも。
それを生かすも殺すも、自由だが、言葉に対する解釈を深めることは、いつか、人間としての厚みに繋がるものだと、私は信じている。
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言葉って難しいですよね。
なんて言うんでしょうか、例えば、愛してると伝えるのも、そのまま伝えると重く感じちゃう時ってありません?
それか、時には安っぽく、軽く感じられてしまう時も、ありませんか?
こちらがどういう感情で言ったとしても、感情の共有はできなくて、結局は受け取った相手の主観なんですよね。
日本語で、長ったらしく、どれだけあなたが好きかを伝えるより
「I love you」
「我愛你」
の一言の方が、よりシンプルに感情を表せるんじゃないかって、何度思ったことか。
日本語を使うと、へんな色がつく。沢山の言葉を知ってるからこそ、余計なことまで言葉にできてしまう。
母国語以外の方が、言葉が不自由だからこそ、本当に伝えたい想いがシンプルになり、直球になり、感情が伝わるんじゃないかなぁっと思います。
とても伝えたい想いがある。
それを相手に伝えるためには、ただただ、浮かんだ言葉を言えばいいわけではない。
この気持ちをそのまま感じさせることができたらいいのに。
恋人に対してもそうですけど、ここ何年かは仕事でもそう感じることが多かったです。
かわいい後輩ができてから。
この子に私の全部を伝えたい、この職場での仕事の仕方を教えて、うまく楽しく仕事ができるようになって欲しいって思うんですけど、なかなか伝わらなかったり、言い過ぎても、言わな過ぎてもよくなかったり。
適度な温度で、適度な距離感を保つのって、なかなか難しい。
私と彼は違う人間だから、ある一つの出来事があったとしても、同じように感じないことは当たり前で、どういう言い方だったら彼の心に響くのか、とか、色々考えました。
結局、なにもできなかったんですけどね。
なんにせよ、言葉はコミュニケーションを取るうえで大事なものの一つ。その力にとても興味があります。
もっと言葉を学んでいきたいです。日本語もですけど、英語も、中国語も、スペイン語も。